宮本百合子その2

 秋田、山形辺は、食糧危機がひどくなってから、主食買い出しの全国的基地となって来ている。私の乗っている汽車にも、きっとそういう用事で出て来ている各地の旅客がいただろう。その人々は、この一望果てない青田を見て、そこに白く光った白米の粒々を想像し、価のつり上りを想像し、満足を感じていたかもしれない。けれども、私は、行けども行けどもつきない稲田の間を駛りつつ、いうにいえない心もちがした。これほどの稲、これほどの稲からとれる米。それを果して、私たちは単純に自分たちの食糧と考えることが出来るのだろうか、と。
 これほどの広い地域をみたす日本のこく倉の稲田は、つまるところ、現在の世の中のしくみでは、やはり一つの最も投機的な商品ではないのだろうか。もし、この広大な稲田全体が、いつわりない農民の生産として、それを作る農民の生活にもかえってゆくものならば、どうして、秋田、山形の農家はこんなに小さい屋根屋根の下にかがまっていて、しかも地主らしい堂々たる家構が見当らないのだろう。一坪でも、そこから米を産出する稲田の真中に、大きい面積をつぶして住居を立てるほど地主たちは愚かでないという証拠である。彼等は多く都会に家をもっているのだろう。小作としてどうしてもそこで働かせておかなければこまる農民の住居は最小限において。家の小さいことは地積の関係ばかりでなく、代々この地方の農民が、決して、祖先からの骨をこの土地に埋めて来た稲田から、地主のように儲けたことは唯一度もなかったことを告げている。

 彼はカフスの奥から純白な麻の手巾を出した。そして、眼鏡を脱し広い額やうるんだ眼を一どきに拭き廻した。
 高畠子爵は充分の満足を湛えた落付きで日下部の傍に立ち、しっとりと重い袂をゆすって葉巻の灰を落した。
「それ程に買って貰えれば私も大満悦です。――これには一つ插話があるのでね」
 子爵は皿についていたあるかないかの塵を指先でとった。
「日本にはまだ真物のマジョリカ、まして、ジョルジョの作なんか恐らく一点も来ていますまい。ざらな商人の手に負えないからでしょうな。これは一昨年巴里に行った時、羅馬まで遠征して掘り出して来たのです。
 ほら、あのサン・ピイエトロからずうっと右よりに行った処にある万神殿ね、あの横通りをぶらぶら歩いているうちにふと穢い婆さん一人で店番している処で見付けたのです。――勿論羅馬に行ったのも、その蠅の糞だらけの飾窓に怪しげなマリアの木像と並んでいる皿が目に止ったのも悉く偶然です。見るとどうもただものでない。下等な婆さんが戸口の腰架で豆か何かむいているのに出させて見ると、全く驚きました。いい塩梅に巴里を出る少し前或る有名な蒐集家の所蔵品を見ていたので大体の見当はついたわけなのです。が、さて価を訊く段になるとね。ハハハ」
 高畠子爵は、思い出しても愉快そうに笑いながら、彼として稀しい多弁で話しつづけた。
「あの心持は今考えてもおかしい。出さきだから持ち合わせはすっかりはたいても高が知れているのですからな。実にこわごわ訊いた訳です」

 金色の日光がキラキラと金粉を撒くように降り注ぐ明るみの中で、嬉戯(きぎ)する子供等と、陽気な高声で喋りながら、白く肥った腕を素早く動かして、張りわたした綱に濡れた布を吊る彼女の姿は、どんなに彼の心を悦ばせたことだろう。一足毎に大きなかごを傍へ傍へと引寄せながら、上下する体の運動につれて、愉快な小唄を口誦む彼女。跼(しゃが)む機勢(はずみ)に落ちかかる後れ毛を、さもうるさそうに手の甲で掻き上げながら、ちょっと頭をあげて大きく息をする彼女。そこには若い母親の豊饒な愛が、咽(む)せるほど芳しく漂っている。見馴れた光景でありながら、その家庭的な情景に逢うと、彼は湧き上る感謝を圧えることができなかった。よき家である。よき妻や子等である。わざと木影に隠れて、我れともなく恍惚とした父親を真先に見つけた子供達が、弾む小毬(こまり)のように頸や胸元に跳びつく頃は、微風に連れて雲のように膨れたり萎んだりする白布を背景にして、眩ゆそうに額際に腕を挙げたマーガレットが、血色のよい頬に渦巻くような笑を湛えながら、“Halloo dear”と野放しの声を投げる。
 質素な木綿着物に包まれた彼女のほっそりとした体の周囲からは、やや田舎めいた、清潔な快い糊のにおいがプント立ちのぼるだろう、濡れて光る双手、小さい汗のために水蜜桃のような顎――あらゆるものが彼女の母性(マザーフット)を囲んで耀くように見えた。壊れかけた玩具も、磨かれた家具も、すべてが彼女の影を受けて始めて、活々として見えるようにさえ思われるのである。
 そういうとき若い良人のWは、涙が出るほどの悦びを感じずにはいられなかった。しかし、その悦びは、決して今のようなものではない。何と云ったら好いだろう。ちょうど、仕合わせな、可愛がられる子供が、髪の毛を透して母親の慈愛に満ちた寵撫(パット)を受けるときのような心持である。その膝に靠(もた)れてそのまま眠ってしまいたいような信頼である。「我等の母」に対する尊敬ともいい得る感激なのである。